ごあいさつ
今から約150年前の明治4年。明治新政府の高官たちが、欧米12カ国の歴訪を終えて日本に帰国しました。当時は彼等の指向立案が新政府の極端な欧米化政策として進められていきます。
皇居を中心に続々と立ち並び始める西洋風建築とその中で使用される家具備品類は、日本の伝統技術とは異なったものでしたが、優れた職人たちによって再現されていきました。
当時の日本の情報媒体である木版画本や和綴じ本では到底、西洋の情報媒体の技術から相当な遅れをとっていたのは間違いなかったはずです。
その一方で、幕末に長崎で写真技術を習得していた下岡蓮杖が活版印刷術を修得して、長崎から横浜に伝えられそれが東京に入ってきたのです。また、紙幣などの高度な技術が要求されるものは、欧米から輸入された機械と技術者によって印刷されましたが、その技術もやがて国内の技術者に吸収されていきます。
それらの経緯により、皇居を巡る官庁街、商業地域を囲むように印刷関連と家具関連の下請けを含む業種が拡大してきました。ちなみに新橋の木工機械工場は現在一軒も残っておらず、印刷工場もほとんどが姿を消してしまいました。 移り変わる時代の流れのなかで、価値あるものを見極めそれをここ東京新橋から自信を持ってお届けしたいと祈念しております。